「路傍の石」慈善特別試写会 

山谷地区の子どものために行われた
 「路傍の石」慈善特別試写会の画像


 昭和34年(1959年)12月のことだった。当時NHKの紅白歌合戦のテレビ中継会場にもなっていた日比谷の東京宝塚劇場で、学校に行けない山谷の無籍の子どもたちのためにチャリティーショウが開催された。
 翌年の劇場公開を控えていた山本有三原作「路傍の石」を公開前に特別上映の形として行い、その試写会の収益金は山谷地区福祉奉仕団友の会へ寄付するようになっていた。

 昭和27、28年頃、青少年問題協議会という組織ができ、昭和30年代に入って東京都から浅草簡易旅館組合へ依頼が入った。それは荒川区を含む山谷地域内の簡易宿所に住んでいる家族持ちを調べることだった。その調査で両区の宿の中に200人近い未就学児がいたことが分かった。
 その後、山谷には学校へ行けない無籍の子供たちが大勢いる問題を事あるごとにメディアに訴えたことで、たくさんの大学生などボランティアが集まり、学校へ行けない山谷の子どもたちのための寺子屋「小さいバラ子供会」が発足した。そのことは「山谷復興の歴史を今に伝えるテープが…」のページでも紹介した。

 東京宝塚劇場の特別試写会会場前に立てられた立て看板 ↓
路傍の石試写会場の掲示板

 この慈善特別試写会は「朝日新聞厚生文化事業団」が主催となって、後援が「山谷地区福祉奉仕団友の会」、協賛には東宝株式会社と書かれた看板が立てられ、午後1時に東京宝塚劇場の扉が華々しく開いた。

路傍の石試写会の開場を待つ子どもたち ①&②
 ↑ 東京宝塚劇場の開門を待つ大勢の山谷の子どもたちと劇場内の様子 ↓
路傍の石特別試写会場の観客席
当日は山谷の籍のない子供たちの外、山谷周辺の学校(待乳山小学校・田中小学校)に通う小学生たちも招待された。

 昭和30年代に山谷の簡宿に住む子供たちの支援で、当時の労働大臣「石田博英」氏や朝日新聞厚生文化事業団の「寺田」氏の応援を得て「山谷地区福祉奉仕団友の会」が結成された。
 この山谷地区福祉奉仕団友の会の賛同者には、映画の主人公吾一少年の父親役だった森繁久彌始め徳川夢声、伴淳三郎などの著名人たちの名前が連なっていたという。

無籍の子どもたちの展示物に見入る高松宮妃喜久子様と案内役の石田博英大臣
(左端は主演の太田博之、石田博英氏の左に先代 帰山仁之助の姿も) ↓

石田博英氏と高松宮妃喜久子様
この画像は、出演者の舞台挨拶など、慈善特別試写会の模様の一部始終を記録した小型映画(8㎜フィルム)をモニターに映し、それをデジタルカメラで撮影したものです。

主人公の母親役を演じた「原節子」が映画鑑賞で訪れた高松宮妃をお出迎え
高松宮妃は、江戸幕府最後の将軍(史上最後の征夷大将軍)徳川慶喜の孫 ↓
試写を鑑賞にみえた高松宮妃を原節子がお出迎え

試写会に先だって行われる舞台挨拶を待つ太田博之(後ろ姿)と 原節子(右端)↓
路傍の石試写会の舞台挨拶を待つ太田博之

翌年の路傍の石が全国で公開された当時の映画のポスター ↓
路傍の石のポスター

 終戦後、焼野原になった東京を復興させるための労働力として、戦争罹災者や外地からの引揚者などを一時収容する事業を請け負った浅草簡易旅館組合は、簡宿街が荒川区等へ大きく進出したことにより、組合名称を昭和33年(1958年)4月より「城北旅館組合」と改称した。実は試写会があったのはその翌年の師走だったが、終戦後15年が過ぎた高度成長期の真っただ中の時代でも無籍の子供たちの未就学問題が山谷にあった。
 当時の山谷地域は、昭和39年(1964年)10月に開催になっていた東京五輪の建設特需ブームに湧き、山谷の簡宿街はかつて経験したことがない数の建設作業員を泊めることになった。最盛期には、共同住宅を含めると1万5,000~1万6,000人もの日雇い労働者が山谷地域に滞在していたと言われている。

 山谷に泊まる家族持ちや女性は、東京都の政策により、昭和37年(1962年)頃から順次優先的に都営住宅へ移されたことから、それ以後宿泊者の割合のほとんどが男性の単身者だという簡宿街に変わっていった。
 東京都城北福祉センター内にできた「城北学園」を経て昭和45年(1970年)頃には、台東区立台英小学校・中学校もできたことで、山谷から未就学者は大方いなくなった。

慈善試写会というチャリティーの中心的役割を担った石田博英労働大臣(中央)や
朝日新聞厚生文化事業団の寺田氏(左端)らと控室で雑談する帰山仁之助 ↓

路傍の石特別試写会の控室

 慈善特別試写会があつた翌年の昭和35年(1960年)5月15日に映画は全国で封切りとなったが、その年の山谷では7月1日に地域の治安維持のため、「山谷文庫」の跡地に、当時の正式名「浅草警察署山谷警部派出所」という大交番(通称=マンモス交番)が山谷通り沿いにできた。
 その一ヶ月後の8月1日に山谷で初めて暴動が起き、皮肉にもマンモス交番は権力の象徴として騒動屋の標的となった。「山谷」という名が否定的な呼び名として全国的になったのがこの年だった。

 山本有三の代表的な小説を映画化したこのリメイク版は、主人公の太田博之演ずる吾一少年が、逆境に耐え、紆余曲折の道のりを歩みながらも成長してゆく様を描いた物語で、恵まれない環境にあった当時の無籍の子供たちにとっては勇気を与える映画だったのではないだろうか?


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