浅草で起きた大旋風(おおつむじかぜ) 

かつて浅草で起きた大旋風



 時は明治廿五年(1892年)八月三日の午後三時三十分。馬道八丁目一番地、俗に浅草で「藪(やぶ)」と呼ばれていた辺りから突然旋風(つむじかぜ)が発生、民家を巻き上げ畳や大八車は宙に浮き、松の大樹は中途から折れ、柳は根こそぎ空中に飛ばされた。その時の模様を伝える「錦絵」が存在していた。

 『ほていや』から浅草方向へ15分程歩いたところに、大正期位まではニューヨークのブロードウェイのような賑やかな芝居街(猿若町)があった。この大旋風では猿若町にあった芝居小屋の中の市村座の大屋根がめくれ、大きな被害があったそうだ。
 さらに五才の小児が真っ逆さまに宙へ巻き上げられたが、幸い大事には至らなかったと絵は伝えている。規模の大きさからいって今でいう大竜巻のレベルだった模様。近年日本各地で大きな竜巻が起き、地球温暖化の影響と思われているが、122年も昔にも北部浅草で大竜巻が起きていた事実が判明した。

浅草で起きた大旋風の様子

被害が出た市村座の芝居小屋(左)と大空に巻き上げられた五才児(右) ↓
大旋風の被害あった市村座と宙を舞う五才児

 錦絵をよくよく見てみると、遠くに東京大空襲で焼け落ちる前の昔の五重塔と、その右にはパリのエッフェル塔に刺激を受けて建設されたという、当時唯一の高層建築物「凌雲閣(りょううんかく)」が見えるが、凌雲閣もやがて大正十二年に起きる関東大震災で八階から折れ曲がってしまうことになる。

 しかし、この絵の右下の枠内にある版元の印刷日時を見ると、同年八月五日となっている。ということは大旋風のあった八月三日から僅か2日後に刷り上がっていたことになる。
 今の現代なら、絵さえあれば、パソコンを使ってスキャニングしてプリンターで刷れば簡単に印刷することも可能だろう。しかし当時は下絵の制作から木版画を作るために版木を彫る手間を考えたらどうやって2日で仕上げられたのか?その秘密が錦絵の下部中央にあった。

早刷りをするために分業で版木を彫って絵をつなぎ合わしていた ↓
分業で作られていた錦絵

 北部浅草に甚大な被害を出したこの大旋風は、この後今戸から隅田川の方向へ去って行ったとのこと。なお、この絵は、今戸辺りから浅草寺の方向へ向けて描いていることが良く分かる。

 ↓ こちらは「田中けんじ」さんが描いた凌雲閣方向からの大旋風
田中けんじさんが描いた大旋風の絵

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