天皇陛下と山谷地域 

天皇陛下と山谷地域



 辞書で調べると天皇陛下が皇居から離れて外出することを行幸( ぎょうこう )と呼び、天皇と皇后がご一緒にお出掛けになる場合には行幸啓( ぎょうこうけい )となるそうです。

 先月12月10日(月)午前10時。山谷地域に隣接する南千住駅東口広場の入口に到着した御料車から天皇、皇后両陛下が下りられ、「義肢装具サポートセンター」を訪問されました。
 障害者週間に合わせたご訪問だったそうで20分程の訪問を終えられ、東京メトロ日比谷線の「南千住駅」北改札前から再び御料車にお乗りになり、汐入を通過、水神橋を渡り首都高“堤通ランプ”から一路皇居へ戻られました。

車から手を振る美智子妃殿下
 両陛下を乗せた菊のご紋のお車は、前後三台の警備車両と計四台の白バイに守られながらドナウ通りを通過しました。上の写真は沿道から小旗を振る大勢の市民へ車窓から笑顔で手を振る美智子妃殿下です。
 複合商業施設「BiVi南千住」から「LaLaテラス」を通り過ぎる瞬間、持っていたデジカメを取り出し間近でカメラのシャッターを切った。

天皇・皇后両陛下 南千住行幸啓 ①

天皇・皇后両陛下 南千住行幸啓 ②

 実は、平成天皇と皇后様が南千住を行幸啓されたのは、今回で三回目なんです。一回目は2008年(平成20年)11月12日でした。ですから約4年間の間に、何と三度も南千住にみえているのです。「なぜ南千住なのか?」と聞かれれば、駅の改札から御料車までの距離が短いとか首都高へのアクセスの良さなどいろいろ理由があるとは思います。しかし一番の理由は「南千住の治安の良さ」ではないでしょうか。今や南千住駅から山谷地域は内外からたくさんの旅行者が訪れるごく普通の東京の下町になっています。日本国の象徴である天皇と皇后陛下が度々行幸啓されるほど刑法犯例が少ない安全な街になんです。

 三駅ある南千住駅は、住居表示でいえば南千住4丁目のエリアに入り、両側に南千住3丁目と7丁目という山谷地域に囲まれています。それは周辺が昭和の時代までは線路と車両基地しかないような土地柄で、宿が一軒もない場所だったので山谷地域の区割りから外れている。

 新型お召し列車は2008年11月12日上野駅常磐線ホームを出発、南千住駅を通過 ↓ 
新型お召列車の初お目見え

   お召し列車に使われるE655系ハイグレード車両 「なごみ(和)」は、東北本線「尾久駅」
 ↓ にある尾久車両センターの一般公開日に行けばお目に掛かれる
尾久車両センターのE655系

 2008年に天皇、皇后両陛下が初めて南千住へ来られた時は、国賓として来日されていたスペイン国王フアン・カルロス1世陛下ご夫妻と共に新型お召し列車「E655系車両」で茨城県つくば市からの帰路につくばエクスプレス(TX)をご利用になり、南千住駅で下車され、今回と同じルートで首都高経由で皇居へ戻られました。
 ご乗車が初乗りだった新型お召し列車以外に、通勤列車に天皇陛下がお乗りになったのは歴史上初めてだったそうです。しかも(乗務員は乗っているが)自動運転の電車に乗ったのも“初”だったらしい。

 ↓ つくばエクスプレス(TX-2000系2168F)の車中でくつろがれる両陛下
通勤電車版お召列車内の両陛下とスペイン国王ご夫妻

 当時の報道では紹介されていませんでしたが、スペイン国王は欧州では大の鉄道好きな国王としても有名らしく、過去に両陛下が欧州歴訪した時に、スペイン王国の特別列車でスペイン国王ご夫妻と共に四人で列車の旅を楽しまれたことがあった。最新型お召し列車の乗車と自動運転で運行する日本の最新式通勤列車の両方の乗車は、欧州での列車の旅への返礼の意味もあったようだ。
 当時の毎日新聞によると、カルロススペイン国王は、つくばエクスプレスの印象に対して「モダンで感銘を受けた」とそう述べたそうで、天皇陛下も「私も初めて乗りました」とお答えされたとか。


 時代は140年も前まで遡りますが、明治新政府を認めない朝鮮に対する強硬派、西郷隆盛らの朝鮮使節派遣問題で政局が二分、わゆる征韓論を巡る激しい対立から心労で倒れた太政大臣、三条実美公の御見舞いのため船で隅田川を北上、明治天皇は現在の台東区橋場で春風丸から下船されました。
 天皇陛下と山谷のつながりは、1873年(明治六年)12月19日に、墨田・台東・荒川の三区の境界で山谷地域の東の外れにあった三条実美候の別邸、「對鷗荘(たいおうそう)」に明治天皇が行幸されたことまで遡ります。

明治天皇行幸遺蹟

 「見わたせば 波の花よる隅田川 ふゆのけしきもこころありけり」
 明治維新政府太政官の最高長官だった三条実美候を御見舞いされた明治天皇は、對鷗荘を後にされたその帰路、近くの松平春嶽(旧=越前福井藩三十二万石)邸へお立ち寄り、鯉の昼膳にて小憩され和歌を詠まれました。

 「いつみても あかね景色は 隅田川 難美路の花は 冬もさきつつ」
 食後、松平邸を後にした天皇は、親交の深かった近くの伊達宗城(旧=宇和島十万石)邸にも立ち寄られ、長命寺の桜餅を召し上がり、橋場を後にしたそうです。お屋敷での御休息の際、隅田川の冬景色を詠まれた時の和歌は、浅草寄りにある墨田公園内に石碑として残されています。

   「いそがしき つとめのひまをぬすみ来て 橋場の里の 月をみるかな」
   明治の元勲“三条実美”候が大層気に入っていた別邸「對鷗荘」の写真絵葉書
 ↓ (右端の小舟が浮く水路は泪橋⇒三ノ輪橋⇒音無川へ続く思川=別名駒洗川です)

関東大震災後の橋場の對鷗荘と思川

白鬚橋より對鷗荘があった場所を望む

 上の古い方の写真は、大震災後の白鬚橋から台東区側の橋場、對鷗荘から山谷方面を望んでいる画像で、その下が同じ位置から写した現在の画像です。上の画像の右下に見える橋の欄干が昔の木製だった頃の白鬚橋で、右手の小舟が浮いている用水路こそが泪橋へと続く思川です。源頼朝が馬を洗った故事から別名駒洗川とも呼ばれていたそうで、現在は暗渠になってその上を明治通りが走っています。
 明治初頭から大正期に掛け、特に山谷地域の東側の隅田川沿いは風光明媚な高級別荘地帯で、風流な趣を好む御大尽がお屋敷を構えていたとか。外にも小松宮、有馬伯爵候から梨園の方々など等、お歴々のお屋敷や別邸が数多く並んでいたそうです。そいえば、浅草寺の宝蔵門を寄贈した大谷米太郎邸も、確かこの近くだった。


 ↓ 墨田区側から撮った木造の橋と並行する竣工間近の白鬚橋(左方向が山谷側)
白鬚橋竣工の写真


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