幻の光の球場「東京スタジアム」のトリビア 

旧「東京スタジアム(東京球場)」のトリビア



 『ほていや』からでも直線でわずか1.3㌔程の距離。昭和47年(1972年)に閉鎖されたプロ野球の最新式スタジアムがこんなに近くにあったことを忘れてしまった人は意外と多い。そこで今回は我々にとってはとても懐かしい「東京スタジアム」のトリビアと画像を紹介したいと思います。


↓ 泪橋交差点から見た東京スタジアム(昭和30年代後半の画像)
泪橋交差点から見た東京球場

◎ 「東京スタジアム」、別名を「東京球場」とは、現在の「千葉 ロッテマリーンズ」の前身にあたる「大毎オリオンズ」の本拠地であったプロ野球の球場名で、東京・下町、荒川区 の南千住6丁目にあった。現在は「東京スタジアム」 といえば、東京都調布にある多目的スタジアム(味の素スタジアム)を指すらしい。

↓ 東京スタジアム 正面メインゲート(下の警察車両右にバッティングセンターがあった)
東京スタジアムの正面

◎ 昭和37年(1962年)に東京・下町、荒川区の住宅街に突如として現れたこの球場は、ビートルズがグループとして最後の公式コンサートを行った会場として知られる「キャンドルスティック・パーク」というアメリカ大リーグの球場を模して作られたと伝えられている。

↓ 東京の下町、南千住にある低層の家ばかりの住宅街に突如として出現したプロ野球場
下町の住宅街に突如と出現したプロ野球場

◎ 場内6基の照明塔は当時としては画期的な照明で、ポール型鉄塔のサーチライトから放たれるとても明るい光線から「光の球場」という愛称でも呼ばれていた。当時の日本の野球場としたらとても珍しいグランドの内野・外野とも本物の芝生で、専用エレベーターで上がるゴンドラ席や貴賓席もあった。

↓ 夜になると真っ暗な下町の住宅街にひときわ光を放つ“光の球場”
光の球場

◎ 昭和37年(1962年)完成、総工費30億円掛けた三万五千人収容のこの球場で最初のホームランをスタンドに打ち込んだのは、実は当時ホークスの捕手だった「野村克也」元東北楽天ゴールデンイーグルス監督だった。また、人気のセリーグ読売巨人軍のカードが年間たった三試合だけ行われていたが、その試合後は最寄駅「南千住駅」までは帰宅を急ぐ人々の長い行列が続いた。

◎ 毎年シーズン終了後には、球場の内野から外野席に掛けて一周450メートルの巨大アイススケート リンクが出現、グランドの外野の位置にはテント状のインドアリンクも作られ、スケート好きな地元の若者や子供たちが毎日のように通ってた。東京のアイススケートリンクだと普通はNGのスピードスケート靴もOKだった。山谷地域周辺の団塊世代の人たちにスケート好きが多いのもここに理由があるらしく、インライン・スケートの靴を周辺のアラ還世代の人たちが初めて履いたとしても練習なしで滑れる人が多いらしい。また、他にも球場の南側の角にはバッティングセンター、西側地下部にはポーリング場 とビリヤード場まであった。

  「東京スタジアム」 スケートリンクの記念絵葉書
↓ シーズンオフになれば、“東京新名所”下町の巨大スケートリンクになっちゃう
東京球場アイススケートリンクの絵葉書
滑走記念スタンプ
        ↑ 記念絵葉書の裏面に押された滑走記念スタンプ
          昭和41年3月6日の日付が押されている

◎ 野球の他にも色々な興行も行われていて、中でも旧「日本プロレス」の試合が行われた時には、元読売巨人軍の投手だった「ジャイアント馬場」がリングがある球場内へ入る際、大勢のファンに取り囲まれても背が高いので、かなり遠くからでも移動する姿が確認出来たという。

◎ メイン入場口近くにある蕎麦処「おおもり」には、当時、オリオンズの有名選手がよく食べに来たという。ある日アルトマンが「きつねそば」を食べてホームランを2本打ってからは、「東京スタジアム」での試合で南千住に来る度、「おおもり」の“きつねそば”を食べに球場から歩くアルトマンの姿をよく見掛けたという。

  今回紹介のブログ内容の位置関係が分かる昔の地図です
↓ 球場の前面道路(千住間道)南側は南千住1丁目で山谷地域
東京スタジアム周辺の位置

◎ 地元で今でも有名、球場が近くだったコッペパン屋「青木屋」。入場前の観客が、当時「元祖青木家 ほっかほかのジャンボパン」と書かれたトタン看板の前は、球場内で食べるコッペパンを求めて長い列が出来ていた。実は、青木屋は元々コロッケなどだけを売る惣菜屋だったが、東京スタジアムができたことで、球場内で食べられるようコッペパンに惣菜を挟んで売ったことがジャンボパンを売るきっかけだったらしい。

◎「客席が野球を見ている」と揶揄されるくらい球場の入りが悪くなってきた昭44年(1969年)当時には「世界初の代走屋」の短距離ランナー「飯島秀雄」外野手がこの地でデビュー。何と彼はプロ野球の経験がまったくなかった。 10.1秒の当時日本記録保持者の背番号は「88」だった。この頃には、外にあった外野席のトイレへの出入り口から場内へタダで入れて、飯島の走る姿を見ることが出来たが、当時それを静止する球場係員はひとりもいなかった。

◎ エース 「成田文男」の活躍や当時抜群の得点力から「榎本喜八」、「アルトマン」らのミサイル打線の活躍が知られているが、オリオンズは、昭和45年(1970年)ついに本拠地でリーグ優勝を果たし、そのゲームセット時には大勢のファンが芝生のグランドへなだれ込んで選手たちが囲まれる事態も…。ユニホーム姿の者は片っ端にファンに胴上げされたが、誰よりも先に宙に舞ったのは監督ではなくワンマンオーナー“永田ラッパ”こと永田雅一氏だったと伝えられている。

◎ 日清食品が昭和46年(1971年)にこの球場でカップヌードルの試験販売を行ったことがあるらしい。これが真実ならば、カップヌードルが関東で初めて販売された地は「山谷地域に隣接する南千住6丁目」だったことになる。

◎ 東京スタジアムを知るはずもない世代の子供たちが、「光の球場」を知っているのは、1976年(昭和51年)から週刊少年ジャンプに連載された「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の第82巻の4の「光の球場!の巻」のアニメ版がテレビで度々放映され、両さんの子供時代の話から、大毎オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)が本拠地球場だった頃の東京スタジアムの話が出てくるかららしい。

◎ 大毎オリオンズの成績不振が続き、さらに親会社の大映映画の倒産が原因で昭和47年(1972年)には閉鎖、わずか10年しか使われなかったことで地元でも球場の記憶を持つ者は意外と少ない。
かつて東京・下町、南千住にモダンな最新式の「光の球場と呼ばれたスタジアムがあって、幻のように消えていった」と後世に伝えられるのかも知れない。


「東京スタジアム」があった場所は、現在、荒川区のスポーツ施設と南千住警察署などになっている。もし南千住駅周辺へ行くために、どこかでタクシーに乗って、うっかり「東京スタジアム」の近くなどと言ってしまったら、調布市西町にある球技場へ向かってしまうので要注意を !!


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コメント

正しかった記憶

本日平成24年6月13日いつものようになにげでネットサーフィンをしていました。
現在でこそ南千住に済んでおりますが台東区で少年時代を送った私はよく子供達に浅草の新世界をはじめ幼き日のこの界隈の思いでを話しています。
子供から東京スタジアムについて質問がありました。マンガ“こち亀”を読み興味をもったようでした。
東京スタジアムには本当よく通いました。もちろん外野のタダ席です。近くの新聞屋さんに行くといつでもチケットをもらえました。
そんな思い出の中で子供達をはじめいろいろな人に話しをしても信じてもらえなかった事がありました。
それが“カップヌードル”の件です。
記憶を辿っていくとある日のデーゲーム何時ものように外野スタンドを徘徊しているとバックスクリーン裏の売店横で数人の売り子のお兄さんがなにやらやっています。今日から売り出すという事で「お湯はどうしよう」「蓋をとるとこぼれるな」などと会話をしていました。おもしろ半分でその会話の中に入ってみるとそこにはまだカートンから取り出されたばかりの白い筒状のものが、当時小学校5年生だった私はそれが何かすぐ思い浮かびました。数日前からTVでCMが始まっていたのです。しかし当時はいったい何処で買えるものかわからずそもそもいったいそれが何なのかも分かっていませんでした。
とにかく好奇心旺盛な盛りですぐさま「ちょうだい!」と確か100円(位)を払いすぐさまカップの蓋を開けてみました。その中は・・・
乾いた麺の用な固まりが・・・
お兄さんがポットからお湯を注ぎ「3分たったらこれで食べて」とプラスティック製のホークをくれました。食べてみてはじめてカップヌードルがラーメンである事を知りました。
私は良かったのですが他の人は大変でした。
なにしろお湯を注いでからインターバルは3分です。その間にお客を見つけ売らなければいけない。最初の売り子のお兄さんは大きな篭(なんと言うのでしょうかよく駅弁を売る方がつかっているお盆)に並べられるだけのカップヌードルを並べ蓋に穴をあけ管を使いお湯を入れてから売りに出かけました。当然ほとんどがのびてしまい「やべー」といいながら戻ってきました。
翌日学校でカップヌードルを食べたといってもクラスの誰も信じません。しかしクラスで一番にカップヌードルを食べた事は間違いが無かったのです。これが自慢でしたがこの記事を読むともしかして関東地方で最初に販売されたカップヌードルを食べたのは私かも?と、ちょっとうれしくなってしまいました。

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