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 2014年09月 

南千住3丁目の庚申塚 

南千住3丁目の庚申塚


 学生の頃、柳田國男氏の民俗資料収集の手引書を片手に、日にバス一本しか通わないような和歌山県の奥地にある「上洞(かぼら)」というところの民宿に泊りながら、山中へ背丈ほどもある雑草をかき分け弘法大師所縁の洞穴を探しに行ったり、山形県の酒田から秋田方向へ寄った海沿いのユースに泊って男海女(おとこあま)を調べに行ったりしたことがあった。昔からの伝承のことををよく知る村の長老を尋ね歩いた道沿いには、「庚申」と彫られた石塔、庚申塚(こうしんづか)をよく見掛けたものです。

 庚申塚は、庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。調べてみると、昔「人間が生れながらにして体内にいると伝えられていた二寸(約6㎝)程の三尸(さんし)の虫」が、60日に一度巡ってくる庚申 (かのえさる) の日の晩、人が 眠っている間にこっそりと体内から抜け出し、 天上の帝釈天の所へ行くと考えられていた。帝釈天へ60日間の悪業(あくごう)を報告れてしまうと命を縮められてしまうという言い伝えから、庚申の夜は眠らずに過ごすようになったとか。
 一人だとつい々寝込んでしまう恐れがあるので、その地域々で場所を決め庚申講と呼ぶ集まりを持って“庚申待ち”という行為が始まった。後に庚申待ちの晩は集団で夜通し飲み食いするようになったという。明治期くらいまでは日本中で行われていたそうだ。
 庚申塚は、庚申講を3年間で計18回続けた記念に建立されることが多かったらしいが、塚の上に石塔を建てることから庚申塚、または庚申塔とそう呼ばれる。

 ↓ 南千住三丁目の交通量の少ない道端の角にある庚申塚
南千住三丁目の庚申塚

庚申塚に花を供える人

 江戸時代には、庚申の夜に身ごもった子は盗賊になるという迷信が信じられていたので、昔は「大泥棒の石川五右衛門の両親は庚申の夜であることをうっかり忘れて夜を楽しんだのだろう」とよく言われていたそうだ。

 かつて都内の随所にあった庚申塚は、街道沿いなどにあったものを高度経済成長期からバブル経済絶頂期頃に行われた都市開発や道路の拡張工事などによってほとんどが撤去されたり移転されたという。今ある庚申塚の多くは道路などから神社やお寺の境内などへ移されたため撤去から免れたものがほとんどらしい。
 南千住の3丁目の現存する庚申塚は、幸い交通量の少ない開発に縁がなかった路上に置かれていたので破壊を免れ今も南千住の路傍の角に残っている。


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