千束稲荷神社 初午祭の画像 

「たけくらべ」 所縁の千束稲荷神社 初午祭のお知らせ

千束稲荷神社の全景

 千束稲荷神社 は、第四代江戸将軍「家綱」公の時代、寛文年間(1661~1672)創建とされている神社で、北千束郷の氏神として長くお祀りされていた。
 この「千束」という地名はとても古い地名で、その示す範囲も昔の浅草天王町辺りから千住大橋の際にまで及ぶ広大なもだったらしいが、浅草一円を千束郷と呼ばれていた時代、周辺に上下二社の稲荷社が造られ、その下社がこの千束稲荷神社だった。祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で、明治5年に村社に列し、竜泉寺町の氏神になったという。ただし、かつて浅草寺境内にあった上社の上千束稲荷(西宮稲荷)神社の方は現存していないとのこと。

↓ 「商売繁昌の象徴」 蔵の鍵を持つ千束稲荷神社の狛狐(こまぎつね)
千束稲荷神社の狛狐

↓ 千束稲荷神社の神輿(5月の例祭の時に撮影)
千束稲荷神社の神輿

↓ 吉原狐舞の提灯(5月の例祭の時に撮影)
吉原狐舞の提灯

 五穀豊穣・家内安全・商売繁昌を願って行われる神事、初午祭(祈年祭)。ここ千束稲荷神社の境内には氏子崇敬者から奉納された地口行燈(じぐちあんどん)が飾られ、地元の子供たちにはお菓子が配られます。
 初午祭(祈年祭)は、例年2月の二の午の日に初午まつりが開催され、当日午後4時には初午祭祈願が行われ、境内に掲げられる約100ヶ所の行燈は夕刻から21時頃まで明かりが灯される

 ↓ 千束稲荷神社の初午祭の画像 ↓ 画像は千束稲荷神社さん提供

千束稲荷神社 初午祭 ①
千束稲荷神社 初午祭 ②
千束稲荷神社 初午祭 ③
千束稲荷神社 初午祭 ④
千束稲荷神社 初午祭 ⑤
↑ 「かかしが わるけりゃ あやまろう (私が 悪けりゃ 謝ろう)」 としゃれた地口絵

 地口とは、ことわざや俗語などに同音または音声の似通った別の語をあて、違った意味を表す「だじゃれ」の類(たぐい)で、江戸庶民が言葉による遊び心を表現したものだった。
 お江戸の昔、稲荷神社では初午縁日に地口を文字にして、それに合わせた絵を描いた地口行燈を境内に飾る風習があったという。本来は凧の絵師が描いていたらしいが、現代では、昔と違って「だじゃれ」の質も変わってきて古い地口の意味が分かり難いことから地口も地口絵の文化もだんだんとなくなってゆく運命にあるという。都内では、このような行燈は千束稲荷神社の外、兼務社になっている吉原神社ぐらいらしい。

 千束稲荷神社と五千円札の肖像で知られる樋口一葉の住居跡地とはとても近く、名作「たけくらべ」では、8月20日の夏祭りの夜、日頃張り合う表町組と横町組の子供たちのケンカをきっかけに物語が展開することからこの神社が所縁の地になっている。なお、境内には、一葉の胸像と日記の自筆碑文がある。

↓ 境内にある樋口一葉の胸像(上)と神社の一角(下)
境内にある樋口一葉の胸像
たけくらべ所縁の千束稲荷神社

↓ 千束稲荷神社の境内にある社務所(授与所) 
千束稲荷神社の社務所

↓ 千束稲荷神社のご朱印(初午祭限定) 
初午祭の時の御朱印

 一方、吉原神社 は、元は、玄徳稲荷(よしとくいなり)といい、場所も大門口の手前、五十間道のくの字カーブのところにあったらしいが、明治5年、新吉原の四隅を囲む「開運稲荷」、「榎本稲荷」、「九郎助稲荷」、「赤石稲荷」四社と共に五社を合祀して創建、総称して吉原神社と名付けられ、その後複数回の火災の後、現在の地に移されたという。

↓ 吉原神社の境内(こちらは2月の最初の午の日に初午祭が行われている)
吉原神社の境内

↓ こちらは吉原神社に飾られた地口行燈(吉原神社の方は夜間点灯されない)
吉原神社の地口行燈


【 初午祭(祈年祭)のご案内 】千束稲荷神社境内にて
● 2018年年2月19日(月) 午後4時から初午祭祈願が行われ、地口行燈が21時頃まで点灯
● 『ほていや』からのアクセスは、泪橋交差点のひとつ手前の角を左折、道なりに歩き、
国際通りを越えたスグ右手(徒歩約15分)東京電力上野支社の手前

〇 千束稲荷神社の公式HPは⇒こちら
〇 吉原神社の公式HPは⇒こちら
(※)千束稲荷神社の初午祭は、毎年2月の二の午の日に行われるが、吉原神社の初午祭は、毎年2月の最初の午の日に行われる。



〇 歌舞伎座の地口行燈の画像 は⇒こちら


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歯神のほこら 

山王清兵衛の小祠 (しょうし)



 むか~し、むかし、とある藩のお侍に清兵衛という者がおったそうな。
ある日歯痛の痛みに耐えかねて、山王社と呼ばれた今の日枝神社の入り口付近で自ら腹を切り、自害した。その遺言に従って祠が築かれその霊を千住に祀ったとさっ。

 そして時は過ぎ、清兵衛はこの地で歯神となって、歯痛に悩む者を救い、千住の「歯神の山王清兵衛」と地元で親しまれ、歯痛に効き目あれば、“錨噛絵馬”という女が錨(いかり)をくわえた絵馬を納める慣わしができたとさっ。
どっとはれ。


 南千住7丁目の「くすりの福太郎」の駐車場脇に山王清兵衛の小祠がある ↓
山王清兵衛の小祠

 ↓ ユーモアたっぷり、工房レタスト 田中けんじさんの「千住情報マップ」でも紹介
千住情報マップ 歯神のほこら

田中けんじさんの「千住情報マップ」には、「虫歯あなどるなかれ…」、「歯痛のあまりに切腹した山王清兵衛を祀る。この方が痛いよ…」 とあるある。
なるほど、なるほど、そりゃーそうだ切腹の方がよっぽど痛い !!


歯神のほこら 千住情報マップ

 田中けんじさんに聞いた話では、荒川区東日暮里のホテルで行われた歯科医師会の集まりで、「千住情報マップ」を歯科医師の先生たちに配ったところ、意外や大受けしたそうだ。この南千住に伝わる山王清兵衛の小祠の伝承は、歯医者の先生たちにはあまり知られていないようだ。

 現代の我々からすられば、江戸時代に歯痛の痛みに耐えかね、結果切腹せざるを得なかった人がいたとは驚きだが、実はその武士は、参勤交代のため千住大橋を超え江戸に向かう行列の中で、急に歯が痛み、あまりの痛さに耐え兼ねて行列を離れ、その不忠を詫びるためこの地で切腹したというのが真相らしい。

 二度とこのような不幸を繰り返さぬよう、また歯痛に悩む人を助けたいという遺言から小祠が建てられ、そしてその霊を弔った。いつしかその祠は「歯痛に悩む者がここをお参りすると歯痛が治る」と言われるようになったらしい。
 切腹というと自殺と同列の残酷な行為だと思われがちだが、当時の武家社会では、命は人間の一番尊いものだからこそ、腹を切って身を捧げるということは最大級のお詫びの意味があったようだ。

 錨をくわえた女の絵馬を納める慣わしがあった清兵衛所縁の日枝神社 ↓
山王清兵衛 日枝神社


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江戸六地蔵(東禅寺) 

東禅寺の江戸六地蔵

 寺町山谷周辺にある数多いお地蔵様の中でも、地元で一番親しまれているのが東禅寺の江戸六地蔵だろう。まんじゅう笠をかぶり、左手に宝珠、右手にはしゃく杖を持ち、寺の正面真ん中にどっかりと腰を据えている巨大なお地蔵様だ。
 江戸街道口を鎮護するために合計六っ造られた六地蔵の建立者は、深川の地蔵坊正元だと伝えられている。ふとした動機から六地蔵建立を発願し、宝永3年(1706年)から12年の歳月を掛けて江戸の街道口に六体の地蔵様を完成させたという。

 六地蔵の縁日は特にないが、最近はお参りする人が増えているらしい。「下谷・浅草 史跡をたずねて」の記述に面白いことが書いてある。それは六地蔵を造った地蔵坊正元は、歌舞伎などでも有名な八百屋お七の恋人佐兵衛の変身で、恋人に会いたい一心で自宅に放火し、火あぶりの刑に処されたとされるお七の霊を慰めるために六地蔵を建立したんだという面白い伝承もあるとか ???


東禅寺の参道があった場所
お江戸の昔は奥州街道(現今の吉野通り)沿いに地蔵があって「止まれ」の道が東禅寺本堂へ続く参道だった。
この4m道路の手前に山谷通り(現=吉野通り)が走っている。

 六地蔵のある「東禅寺」は、『ほていや』から山谷通りを浅草駅方向へ400m程歩いて4m道路を右に少し入ったところにあるが、元々は旧奥州街道(今は吉野通りと言っている)の入り口にあったとされている。関東大震災後の昭和3年(1928年)に都市計画により現在の東禅寺内へ移された。
 東禅寺とは台東区東浅草にある曹洞宗(禅宗)の寺院で、格州和尚が開基となり、哲州和尚が寛永元年(1624年)に開山とされている。現在の東禅寺は鉄筋コンクリート製に造り替えられているが、寺正面に東京都指定有形文化財である江戸六地蔵の一つ「銅造地蔵菩薩坐像」として鎮座しているが、吉原の大火、関東大震災、東京大空襲と34年間に三度も被災している。


吉原の大火で焼失した東禅寺の前で焼け残った地蔵を見上げる人々 ↓
吉原の大火(吉原の大火で焼け残った地蔵)

 以前東禅寺の方丈さんに伺った話では、お江戸の昔は寺の周辺一帯、吉野通りまでが寺の領域だったそうで、かつて六地蔵は奥州街道沿いに向いていて、その後方にあった参道の奥が本堂になっていたそうだ。江戸幕府の時代に寺社奉行所が管理していた古地図が今も現存していて、国会図書館のデータベースからダウンロードができ、その地図から当時の東禅寺の敷地の広さが分かるらしい。
 なお、六地蔵の左手には、あんぱんの考案者と伝えられる銀座木村屋總本店の創業者、木村安兵衛と妻ブナの夫婦像があり、墓地の一番奥に創業者家の墓があると共に、青物市場で使う符牒(ふちょう=取引の値段などを合図する隠語)の元祖「小楠家」の墓も東禅寺にあるらしい。

かつて江戸の街道口を見守っていた、東禅寺の「江戸六地蔵」 ↓
江戸六地蔵で有名な東禅寺

江戸六地蔵(奥州街道)


 【 銅造地蔵菩薩坐像】 (江戸六地蔵の一)
 江戸六地蔵の由来は、その一つ太宗寺の像内にあった『刊本江戸六地蔵建立之略縁起』によれば、江戸深川の地蔵坊正元が不治の病にかかり、病気平癒を両親とともに地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したことから、京都の六地蔵に倣って、宝永3年(1706年)造立の願を発し、人々の浄財を集め、江戸市中六ヶ所に地蔵菩薩をそれぞれひとつずつ造立したと伝えられています。各像の全身及び蓮台には、勧進者、その造立年代などが陰刻されており、神田鍋町鋳物師太田駿河守藤原正義によって鋳造されたことがわかります。六地蔵のうち、深川にあった永代寺の地蔵菩薩(第六番)は、廃仏毀釈で取り壊され、五軀が残っています。
 洞雲山東禅寺の六地蔵は、品川寺(品川区)に次いで、第2番の宝永7年(1710年)に造立されたものです。像高は271cmあります。
 他の六地蔵は鍍金が施されているのに対し、記録では、この六地蔵は像の表面を布目条にやすりをかけ、弁柄色の漆を塗って箔を置いたあとが残っていたとあります。
 江戸時代中期の鋳造像としては大作であり、かつ遺例の少ないものであることから文化財に指定されました。

 ~平成14年(2002年)3月29日 東京都教育委員会~



【 江戸六地蔵 】 建立の順
● 東 海 道  品川寺 品川区南品川3-5-17 宝永5年(1708年)建立
● 奥州街道 東禅寺 台東区東浅草2-12-13 宝永7年(1710年)建立
● 甲州街道 太宗寺 新宿区新宿2-9-2 正徳2年(1712年)建立
● 中 仙 道  真性寺 豊島区巣鴨3-21-21 正徳4年(1714年)建立
● 水戸街道 霊巌寺 江東区白河1-3-32 享保2年(1717年)建立
● 千葉街道 永代寺 江東区富岡1-15-1 享保5年(1720年)建立(消滅)


六地蔵のアップ画像

 東禅寺の周辺には、源義家が陸奥征伐の時、この地を訪れた際に、倒れた愛馬「青海原(あおうなばら)」を葬ったと伝えられる場所に祀られている駿馬塚(しゅんめづか)や、新吉原の伝説の花魁、万治高尾こと第二代目高尾太夫の墓(春慶院)など歴史資源が集まっている。どちらも『ほていや』から歩いても数分の距離にある。

東禅寺とその周辺の歴史資源を紹介するページは⇒こちら

旧奥州(日光)街道周辺の地域資源が分かる地図は⇒こちら


銅造地蔵菩薩坐像の案内板(東京都教育委員会) ↓
銅像地蔵菩薩坐像の案内板

木村屋總本店の創業者であんぱんの考案者の像
(木村安兵衛夫妻の墓所は東禅寺) ↓
木村屋總本店の創業者夫妻の像
木村屋總本店グループの「永年勤続表彰式」は、木村屋總本店の菩提寺である東禅寺で行われているそうだ。


Google ストリートビューで見る⇒こちら

Google mapで場所を確認⇒こちら

所在地= 台東区東浅草2-12-13


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駿馬塚(東浅草の馬頭観音) 

今も山谷の路地裏で守られている駿馬塚
 
 塚の存在を知らない者なら通り過ぎていまいそうな、間口わずか一間程の狭い路地の奥に「駿馬塚(しゅんめづか)」は祀られている。

 駿馬塚は、平安時代の康平年間に源義家が陸奥征伐の時、この地を訪れた際に、倒れた愛馬「青海原(あおうなばら)」を葬ったと伝えられる場所で、今でも地元山谷の人たちは、この塚のことを“馬頭観音”と呼び、覆屋を覆って大切に守り続けている。
 この塚の周辺は、かつて街道沿いにあったという大きなお地蔵様、江戸の六地蔵(東禅寺)や、新吉原の伝説の花魁、万治高尾こと第二代目高尾太夫の墓(春慶院)など歴史資源が集まっている。どちらも『ほていや』から歩いても数分の距離にある。


駿馬塚のある路地
 北部浅草にある狭い路地の中に覆屋等を設けて大切に守られている駿馬塚


 【 駿馬塚 】
 駿馬塚は、平安時代の康平年間(1058年~1064年)源義家が陸奥へ向かう際、この地で愛馬「青海原」が絶命し、これを葬った所と伝えている。
 現存する塚は、明治28年(1895年)造立の石碑や石造層塔の一部を遺すのみだが、天保7年(1836年)刊行の『江戸名所図会』には左の挿絵を載せており、江戸時代後期には土饅頭型の塚や「駿馬塚」と書した石碑が建っていたようである。
 現在、付近の人々はこの塚を「馬頭観音」と呼び、覆屋等を設けて大切に守っている。
 ~平成10年(1998年)3月 台東区教育委員会~


駿馬塚

 駿馬塚の案内板(台東区教育委員会) ↓
駿馬塚の案内板


MOUND OF THE FLEET STEED
This mound is said to be the grave of the beloved horse of the 11th Century samurai Minamoto no Yoshiie who passed here on his way to an expedition to the Tohoku region.
In an illustration from an early 19th Century book,the mound is introduced in this light,and at also provides us with glimpses of the lifestyle of that period.
Presently the mound is carefully preserved through the eddorts of the people in the neighborhood.

所在地= 台東区東浅草2-16-1


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マニアの聖地 南千住駅前歩道橋 

南千住駅前歩道橋は貨物列車マニアの聖地だ!



 一般の旅客列車の路線図や時刻表には載っていない、貨物専用の駅「隅田川貨物駅」は、南千住四丁目の全敷地面積の約50%を占める広大な敷地(22万5000㎡)の中にあり、30本以上もある線路の先には巨大コンテナターミナルがある。
 その貨物列車を入れ替える操作場の線路上をまたぐように架かる跨線橋が「南千住駅前歩道橋」だ。一見どこにでもありそうな歩行者橋ではあるが、貨物列車のマニアたちにとっては聖地と言っていいような場所になっている。

上から見た南千住駅前歩道橋
 ↑ 泪橋側のビルから撮った画像(上)と日比谷線の駅ホームから撮った画像(下) ↓
メトロのホームから見た南千住駅前歩道橋

 ↑ 入換えの貨物列車も日比谷線を通る電車も歩道橋から間近に見れる ↓
間近で見れる日比谷線

日比谷線南改札の真ん前が歩道橋の登り口(らせん状のスロープは自転車用) ↓
南千住駅前歩道橋の登り口

 徳川家康が隅田川に初めて架けた橋、千住大橋ができた後は、かつてこの歩道橋の真下が奥州・日光両街道だった。
 自転車用スロープの脇にあるエレベーター乗り場入り口に回ると巨大な首切り地蔵があるが、近くの仙成食堂のオーナー杉山さんによると、明治6年7月の刑場廃止まで近くに小塚原(こつかっぱら)のお仕置き場があったので、この街道を避け三ノ輪の方を迂回する人も多かったそうだ。

小塚原の首切り地蔵

南千住4丁目上空から見た隅田川貨物駅と南千住駅前歩道橋 ↓
南千住の上空から見た隅田川貨物駅と歩道橋

JR隅田川駅のコンテナターミナルを高層マンションから撮った画像 ↓
隅田川駅貨物フェスティバル 全景

JR隅田川駅前の操車場全景と南千住4丁目から汐入に掛けてのマンション群 ↓
JR貨物隅田川駅と南千住のマンション群

明治期の隅田川貨物停車場 化石燃料を輸送するため線路と水路が交わっていた ↓
明治時代の隅田川貨物停車場

「線路と水路が交わっていたのが分かる南千住の古い地図」 は⇒こちら


 ↓ 石炭など化石燃料を積換える線路と水路が交わっていた名残の高床ホーム ↓

唯一隅田川駅に現存する歴史あるプラットフォーム
上の画像は、隅田川駅貨物フェスティバル当日に撮った画像。明治30年(1897年)に開業以来唯一現存する高床ホーム。毎年秋に行われる貨物フェスティバル当日は、一日だけ駅構内が一般に解放され、高床ホーム上では地元仲通り商店街の有志による飲食の模擬店が出店、貨物のイベントも行われる。

 発送・到着方面は、第一位が北海道で二位が東北、三位が新潟方面で、隅田川駅貨物は主に北海道と東北の起点となっている。歩道橋の上からは、入換え専用機関車「HD300形式ハイブリッド」や北日本専用の機関車、EH500形式電気機関車「HCO‐POWER金太郎」などが大迫力で真下を通過して行くのを見下ろすことができる。

貨物フェスティバル当日の周辺 ①
 ↑ 年に一度の隅田川駅貨物フェスティバル時は撮り鉄マニアがキリギリス状態 ↓
貨物フェスティバル当日の周辺 ②

 実は昔は、車輛と歩行者は一緒の踏切を渡らねばならなかった。その時にも歩行者専用の陸橋があることはあったが、踏切の開くのを待つ人がほとんどで橋を越える人は少なかったように記憶している。
 まだ上部に日比谷線が通ってない頃の昭和20年代から30年代では、小さな子どもを連れた親子が蒸気機関車の通過を見に来る真っ黒い煙が舞うSLのビュースポットだった。
 なお、YouTube にUPしている都電22番線の動画の「0:41」の場面を撮った撮影場所が、そのSLのビュースポットだった昔の陸橋だ。

南千住の開かずの踏切
↑ 今の歩道橋ができるまでは「南千住の開かずの踏切」だと嘲弄(ちょうろう)されていた ↓
(下は昭和57年の画像で、線路の下部の自動車専用道のみで歩行者橋は未着工の時)

南千住の開かずの踏切(1982年)

平成23年(2011年)9月20日に念願だったエレベターも完成(当時の新聞記事)
南千住駅前歩道橋EV完成時の記事

また、南千住駅前歩道橋は、安宿街の行き帰りに通る外国人旅行者の通り道だ!
 ↓ 南千住駅前歩道橋を越えスカイツリー方向300m先が安宿街の中心点「泪橋」

南千住駅前歩道橋を渡る外国人たち
南千住駅前歩道橋を越える外国人旅行者

真夏のある日、自転車で「南千住駅前歩道橋」の真下を取り過ぎようとした時
山谷の宿をチェックアウトしたばかりのイスラエル人“Backpacker”に声を掛けて… ↓

世界中を巡る山谷の“Backpacker”

 ↓ 耳の不自由なバックパッカーを筆談と身振り手振りで道案内した時の一枚南千住駅前歩道橋の下での一枚

【 鉄道関連ページ 】

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